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百済時代に築かれた山城「夢村土城」の跡。今やソウル市民の憩いの場となっている。その丘陵からはオリンピックスタジアムを望むことができる。
百済時代の王族。
古代の百済ほど、日本とゆかりのある国はないだろう。奈良県石上神宮には百済が倭国に贈ったとされる「七支刀」が伝わっており、滅亡した百済の復興を試みて、日本・百済の連合軍は白村江で戦う。
これに敗れた後、百済の王族や貴族など数千の人たちが日本に亡命し、朝廷に仕えた。日本の仏教文化が一気に花開いたのも百済なくしてはありえなかったかもしれない。
奈良県には百済という地名や、百済寺、百済王神社といった神社仏閣がある。これらは百済の人々の足跡である。
百済の姿を一望すべく、ソウルから公州を経て、扶余へと向った。
何れもかつて、百済が都を置いていた土地である。同国は今のソウルに首都・漢城を置いていたが、高句麗に侵攻され、公州の熊津に移す。
しかし今度は、新羅の版図拡大により、遷都を余儀なくされ、さらに南下して、扶余に都を移す。しかし、ついには唐・新羅連合軍の前に降伏、百済は消滅する。
このとき、多くの宮廷女性たちが断崖から、白馬江(白村江)に身を投げた。百済の復興を目指して、日本は兵を派遣したが、唐・新羅連合軍の前に、やはり白村江で大敗してしまったことが、『日本書紀』の天智天皇紀に記されている。
古代百済のスピリットを感じようと意気込んで公州・扶余に向った我々に肩透かしを喰わせるかのように、そこには百済の遺物はほとんど何もなかった。あったのは百済時代に創建された寺院「定林寺」の跡とそこにかろうじて残っていた五層石塔。滅びた国は、その滅び方も徹底している。
(上左)/百済は滅んでも、そこで醸成された仏教文化は継承される。(上中)/百済漢城時代の山城「夢村土城」には外敵を防ぐための柵が立てられていた。(上右)/百済時代の寺院「定林寺」に唯一残る百済時代の遺物・五層石塔。寂寥たる公州と扶余の風景が百済滅亡の歴史を伝える。(下左)/定林寺跡に残る石仏像。ただし、時代が下って高麗時代のもの。(下中)/公州と扶余を流れる大河「白馬江」(白村江)。この河は何度も歴史の舞台に登場する。百済滅亡の際、彼方に見える断崖から宮廷の女性たちが入水した場所として知られる。投身する姿は、あたかも舞い散る花びらのようだったという言い伝えから、彼女らが身を投げた岩は落花岩と呼ばれる。また、百済・日本連合軍が唐・新羅連合軍と衝突した白村江の戦いの戦地でもある。(下右)/仏教建築のディテール、その色使いは実に様々だ。
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