奈良県立万葉文化館館長
中西進(なかにし・すすむ)
1929年東京生まれ。東京大学大学院修了。文化功労者。奈良県特別顧問。1963年刊行の『万葉集の比較文学的研究』により読売文学賞受賞。日本文化の全体像を視野に収めた研究・評論活動で知られる。漢字本文・現代語訳・簡潔な注を収めた、文庫本としては画期的な『万葉集』(講談社文庫)のテキスト全4冊と万葉集事典1冊を編集し、『万葉集』の普及に努めた。日本学士院賞、和辻哲郎文化賞、大佛次郎賞、京都新聞文化賞など受賞。『万葉を旅する』『中西進と歩く万葉の大和路』『日本人の忘れもの』(ウェッジ)『中西進著作集』(四季社)など著書は100冊を超える。「万葉みらい塾」を開き『万葉集』の魅力を小中学生に教える。平城遷都1300年記念事業協会理事も務める。

甘樫丘から大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)を望む。『万葉集』に「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしえ)も 然にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき」(天智天皇)と、三山の恋争いが詠まれている。
命への信頼が生んだ『万葉集』
吾が恋はまさかも悲し草枕
多胡の入野のおくもかなしも
『万葉集』に収められたこの東歌にいつも大きく心が動かされます。「私の恋はこんなに悲しい、多胡の入野のように深く悲しい」と、恋が悲しいと詠っているのです。恋心をテーマにした歌や物語、小説はごまんとありますが、「恋が悲しい」と率直に表現したものは稀有でしょう。「かなしい」という言葉は「悲しい」とも「哀しい」とも書きますが、さらに「愛しい」という字も当てます。本来、悲しいという感情は何かに対して愛があるから起こるのです。例えば、「どうでもいい」と思っている人に対しては悲しいという感情は生まれないはずですよね。愛しているから「愛しい」のです。
さらに、愛とは何か突き詰めて考えると、その人を愛している自分を愛している、ということではないでしょうか。ですから、愛を感じなければ、それは自分を大切にしていないということでしょう。愛するに足る「誇り」や命の尊重が内面になければ、悲しいという思いも生まれない。その意味では「愛とはアイデンティティだ」と言えるかもしれませんね。「恋が悲しい」という歌には、命への信頼と人間存在の核心が表れているからこそ、そこから深い感動が生まれるのです。
生命感や感性から遠ざかる後代の技巧的な歌とは違い、最古の歌集『万葉集』には何よりも命への強い信頼があります。それはなぜかと言うと、古人が永遠の生を感じていたからでしょう。「永遠」という夢を失った現代人には信じがたいことですが、かつて日本人には「生」と「死」との間に明確な境界線はありませんでした。息が止むことが肉体の終焉を表しましたが、それは死を意味しなかった。魂は常に生き続けていると考えられていたのです。永遠や不易なものに対する信頼が命の尊重に結びついていたのです。
万葉の心に帰る
この生命観が多様な価値観を生みました。例えば、神亀元年(七二四年)に聖武天皇が即位されたとき、まずなされた宣言は「渡来人たちを日本人と同じように政治に参加させる」ということでした。これこそ人種によって区別をしないという、現代人こそ学ぶべき真に国際的な態度でしょう。また、その后の光明皇后は、重症のらい病患者の膿を吸ったという逸話も残っています。古には階級という意識もなく、時のリーダーである天皇も民への親しみを表す存在だったのです。現在では身分の上下を表す敬語も、本来は女性に対する親しみを表現する言葉でした。命の尊重と信頼に裏づけされた多様な価値が万葉の時代には存在していたというわけです。
昨今、『万葉集』に帰ろうとする日本人が増え、注目が集まっているのはごく自然なことでしょう。私たちは、明治時代以降「脱亜入欧」のスローガンのもと、欧米の真似ばかりをしてきましたが、それに疲れ、ふと立ち止まって「本当にこれで正しいのか」と考え始めている。つまり、価値とは多様なのだと気づき始めているのです。そのときに、拠り所にすべきものとして『万葉集』がある。刹那的に生きることで、生命力が欠如している現代人も、『万葉集』という先人が残してくれた、命の謳歌に想いをいたして、それを自らの命にしていくことができる。
根っこがある限り植物が死なないのと同じように、人間もルーツがある限り、子孫を永遠に導き続けることができるのです。根底に溢れる命への信頼、そして多様な価値を認める心、それこそが『万葉集』から我々が学ぶべきことでしょう。(談)
更新日:2009年5月8日